2019-4-17

平成のインターネットを遊び倒した世代が今、それを仕事にしているという話

平成の歴史は、インターネットの歴史と共にあったと言っても過言ではありません。
そんな平成のはじめに生まれた人々が、インターネット上で活発にコミュニケーションを取るようになったのは2000年代に入ってからのこと。
当時のインターネット・コミュニケーションは、一体どのように「イマ」に繋がっていったのでしょうか?
インターネットと共に育ち、大人になってからインターネット業界で働くことに決めた女子3人 で、当時の「インターネットあるある」を振り返りながら語りあってみました!

座談会参加者プロフィール

  • 福田恵里SHE株式会社 COO

    リクルートに新卒入社後、2017年に同社を卒業。共同創業者としてSHE株式会社の立ち上げを行い、現在は女性のためのキャリアスクールを表参道にて運営中。

  • 林奈央株式会社BANK デザイナー

    新卒時代はpixivにデザイナーとして勤務。現在は、目の前のアイテムがすぐにお金になるアプリ「CASH」のデザインを担当中。

  • 飯塚みちか株式会社OPT SNSコンサルタント

    2015年にOPTに新卒入社。食品メーカーや化粧品メーカー、ゲーム会社など、様々なBtoC企業のSNSマーケティングに従事している。

「りぼんわくわくステーション」のFlashゲームを遊び倒した小学生時代

飯塚:生まれて初めてインターネットに触れたのがいつだったか、覚えていますか?
わたしは、Windows98(※1)が出たタイミングで家のパソコンがネットに繋がるようになって、小1のときには家でネットをしていたんですけど。

福田:わたしがインターネットを始めたのは、小3ぐらいのときだったかな?

林:わたしは小5ぐらいからですね。パソコン自体が家に来たのは小学1年生ぐらいのときで、そのときはパソコンに入ってるホッケーのゲームなんかをしていました。

福田:そういえばわたしも、インターネットに繋がる前は「ペイント」、「一太郎スマイル」(※2)、「バザールでござーる」(※3)とかで遊んでいましたね。
ネットに繋ぐようになってからは、オンラインのチャットや掲示板、対戦ゲームをするようになりました。

林:あと、りぼんのゲームとかね。

飯塚:「りぼんわくわくステーション」(※4)だ!
マンガ雑誌の公式サイトに置いてあったFlashゲーム、わたしも遊び倒した記憶があります。

△りぼんわくわくステーションには現在も遊べるFlashゲームや、試し読みのコーナーが。

福田:Flashといえば、中1ぐらいのころ、Flash動画(※5)がめちゃくちゃ流行りませんでしたか?「赤い部屋」(※6)とか……。

林:あ~、クラスメイトと「みんなで見ようぜ!」みたいな感じで見てました……!

飯塚:ここにいる3人って、当時は全く違う場所で生活をしていたと思うんですけど、インターネットの流行は地域を問わず同じだったんですね。わたしも、みなさんと全く同じことを「パソコンなんてあるわけない」と言われていた島根(※7)でやっていました……(笑)

※1 Windows98
日本語版は1998年7月25日に発売。Internet Explorerが初めて標準搭載されたOSでもある。初めて家に来たパソコンのOSがWindows98だったというアラサーは多い。2006年にサポートを終了。

※2 一太郎スマイル
ジャストシステムが99年6月から販売していた小学生向けのワープロソフト。
お絵かきソフトやタイピング練習ソフトも付属しており、当時の子どもはこれで十分遊べた。

※3 バザールでござーる
ゲームの正式名称は『バザールでござーるのゲームでござーる』(1996年7月発売)。
NECのマスコットキャラクター「バザールでござーる」をゴールまで導くパズルゲーで、開発元は『ポケットモンスター』と同じ株式会社ゲームフリーク。かの有野課長も挑戦したレトロゲームの佳作として知られる。

※4 りぼんわくわくステーション
集英社の少女まんが雑誌「りぼん」の公式サイト名。
当時は連載中のまんがのキャラクターを使ったかわいらしいブラウザゲームが頻繁に更新されており、一部のりぼんっ子たちを熱狂させていた。

※5 Flash動画
Adobe社のFlashというソフトウェアを使用して制作された動画やアニメーション。YouTubeなどの動画共有サービスが普及する以前に流行し、パロディや空耳といったお笑いネタから、ホラー、感動ネタまでその内容は多岐にわたった。2000年前半の全盛期にはルーマニア語楽曲の空耳を元にしたFlash動画が大流行。使用された楽曲「恋のマイアヒ」がオリコン・アルバムチャート総合1位を獲得するなど社会現象にもなった。

※6 赤い部屋
90年代後半のインターネット上で隆盛を極めた”ポップアップ広告”を題材にしたホラーFlash作品。
「消すと死ぬポップアップ広告がある」という都市伝説を探るストーリーで、結末には当時のPCならではの演出ギミックが仕掛けられており、ユーザーを恐怖に陥れた。

※7 島根にパソコンなんてあるわけないじゃん
アラサーには懐かしいインターネットスラングのひとつ。元ネタは2000年に公開された細田守監督による劇場版アニメ「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」に登場する作中のセリフから。
公開当時は家庭用パソコンがあまり普及しておらず、”パソコンがない”ことはさほど珍しくなかったが、後年になってネット上で“島根いじり”としてネタ化した。ちなみに実際の島根県は現在、県主導でIT産業の振興を積極的に行うIT先進県なのだとか。

ネットの友だちを作る楽しさを「ふみコミュ!」で学んだ青春時代

飯塚:学生時代、一番思い出に残ってるサイトってどこですか?

福田:ありすぎて決められない……(笑)
でも、インターネットの楽しさを教えてくれたのはやっぱり「ふみコミュ」(※8)と「画像掲示板」だったなと。ふみコミュは、もはやうちらのバイブルって感じですよね!

△ひさしぶりにアクセスしてみた「ふみコミュ」。当然ですがすっかり現代風のデザインに。

飯塚:ふみコミュ!! 完全に青春だ……。
わたし、ふみコミュで知り合った子と遊んだりしてましたもん、中学生のとき。

福田:えっ、リアルでも会ったりしてたんですか?

飯塚:オフ会は何回かしています。当時すごく好きなバンドがいて、ふみコミュの掲示板や個人サイトでファンの子たちと交流をしていて。
特に親しくなった子たちとは、バンドの聖地巡礼もしました。地元では趣味の近い友だちがなかなか見つからなかったけど、ネットの友だちには本当の自分を出せる感じがして、楽しかったんですよね……。

△ネットで出会った人とリア友になるなど、当時から社交性を発揮していた飯塚さん。

福田:わたしは逆に、完全にインターネットだけで活動していました。
ふみコミュってスクールカースト制が結構激しくて、ヤンキーが一番上にいるようなコミュニティだったじゃないですか?
だから、本当の自分は全然ヤンキーじゃないのに、ふみコミュ!ではヤンキーっぽい自分を演出するみたいな……自分以外の人間になれるところにネットの良さを感じていました。

※8 ふみコミュニティ
2000年に登場したティーンエイジャー向けの情報交換・交流サイト。通称”ふみコミュ”。
カテゴリー分けされた掲示板群で成り立っており、おえかきBBSやプリクラ交換なども行われていた。
ふみコミュには、個人ホームページのランキングや、素材作りを募集する掲示板もあり、これがきっかけで自ら無料レンタルサーバーを借り、個人サイトの運営を始める少女たちも多かった。

「加工画」作りのおかげでPhotoshopが使えるようになった

林:わたしは「モバスペ」(※9)で個人サイトを作って、そこで作った画像を配布していました。「○○の待受画像作ってください!」みたいなリクエストを掲示板でもらって、作った待受をそのサイトで配布するっていう。

福田:そうそう!学校から帰ってきたら、まず掲示板にリクエストが来ていないか確認して、すぐに画像を作りはじめるのが毎日の楽しみでした。
「全然知らない人に自分が何かをしてあげることで喜んでもらえる」っていう体験そのものが、すごく嬉しかったのを覚えています。

林:当時、画像は「Pictbear」(※10)っていう無料の画像編集ソフトを使って加工していたんですけど、 そのおかげでPhotoshopを使えるようになった、みたいなところもあります。

△待受画像の職人だった林さんは今、デザイナーに。

めっちゃ改行した後に「ウザ。」と書いてある友だちの投稿を見て戦慄

福田:高校になってみんながガラケーを持つようになってからは、リア友同士で「ホムペ(個人ホームページ)」(※11)をやるようになりましたよね。
仲良しグループとか、部活ごとにみんなホムペを持っていて、全員で日記を読み合うような文化が生まれて、そこから徐々にインターネットがリアル寄りになっていったように思います。高校の頃に流行り始めたmixiも実名制だったし。

林:そういえば「リアル」(※12)ってありましたよね?
掲示板をカスタマイズして、自分だけが一言投稿をできるようにしてある……今で言うTwitterみたいな。

△mixiの”足あと”機能をすごく気にしていた思い出が蘇ります。

飯塚:「テストまじ勉強してない……」みたいな(笑)、ブログとか日記を書くほどではない内容を投稿するやつですよね。仲の良い友だちのリアルは全部ブックマークして、ケータイを開くたびに全部巡回してました。

福田:友だちの日記やリアルを見て、みんなが何を考えてるのかを把握するっていう。
仲の良い友だちのリアルで、めっちゃ改行した後に「ウザ。」とか書いてある投稿を見ると、「これわたしのことかな!?」みたいに思っちゃったりとか(笑)

飯塚:あの頃はまだTwitterは普及していなかったけど、当時のJKたちも「誰かに話しかけてるわけじゃないけど見てほしい、あわよくば話題を拾ってほしい」とか「友だちの考えてることを覗きたい」みたいな欲求は持て余してましたよね。
それを表現するツールは時代によって変わっていくけど、抱えている想い自体はいつの時代も同じなのかも。

△同世代であの頃を振り返ると、共感と懐かしさで変なテンションに。

※9 モバスペ
携帯電話専用のホームページを無料提供するサービス。
当時の小中学生の多くは、このモバスペを利用して、自分の日記や掲示板を掲載する”個人ホムペ”を作成していた。”タグ屋”や”フリー素材屋”などを駆使すればデザインを作り込むことができる。似たサービスでは「魔法のiらんど」や「@peps!」などが有名。

※10 Pictbear
フリーのペイントソフト。画像加工で遊んでいた少女たちの間で流行し、ふみコミュの掲示板ではPictbearの使い方の情報交換や、カスタムしたブラシの配布などが活発に行われていた。

※11 ホムペ
個人ホームページの略称。プロフィールや日記、掲示板(BBS)などをコンテンツとして、個人または友人と共同で管理される。
日記は個人で更新するサイトもあれば、交換日記のようにメンバー間で回す場合もあった。
BBSは主に他校の子などオフラインで関わりのない人との社交の場として使われ、相互リンクページには友人や部活の先輩/後輩のサイトを貼ることで、交友関係が可視化されていた。気に入ったサイトはブックマークに保存して巡回するのが毎日のルーティーン。

※12 リアル
「リアルタイムブログ」の略称。自分の近況をリアルタイムに更新できる掲示板。当時は短文をつぶやくTwitterのような役割をしていた。
ただし、Twitterのように同一のタイムラインに複数人の”リアル”が流れる形式は少なく、あくまで個人のつぶやきが独立して掲載されている形。そのため、Twitterのような交流はあまり行われない。閲覧パスワードを設置して、特定の友人だけが見られる”鍵垢”のように活用するティーンたちもいた。

「これ高校生のときにやってたやつじゃん」が仕事になった現在

飯塚:こんな風に2000年代のインターネットを匿名と実名でそれぞれ遊び倒して、結局そのままインターネットで仕事をすることになったわけですが…………
みなさんやっぱり、「ネットで食ってくぞ!」と思って仕事を選ばれたんですか?

福田:わたしにとっては、当時のネットはあくまで趣味で、正直仕事にできるものだとは思っていませんでした。
でも、大学生になってから「WEBデザイン」というものがあるということを知って、HTMLとかCSSを学んで……その時、「え?これ、わたし高校生のときにやってたやつじゃん!」って思ったんですよ。

それこそ当時、サイト作りのためにガラケーでタグを打ったりしてたじゃないですか(笑)それがHTML、CSSだったんだっていうことをあらためて知って、点と点が繋がったように感じました。

それから、やっぱり画像掲示板でやっていたことは自分の原体験になっています。
「もっとこうしたほうがいい」みたいなアイディアや課題を、自分が何かを作ることで解決したり、インターネットを通じて全世界の人たちと分かち合う経験を早くからしていたこともあって、「これを仕事にしたら広がりがありそうだな」と思い、今の仕事を選びました。

△振り返るとやっぱりあの頃の原体験が今の仕事につながっているという、福田さん。

飯塚:実はわたしも、まさか今こんな仕事をしているなんて思ってもみなかったんですよ(笑)
サイト作りや、インターネットでファン同士集まってワイワイするのが好きだった延長で、大学時代はアイドルのファンサイトを勝手に作って運営していたんです。
そのサイトに人を呼ぶためにTwitterの運用もしていて……マーケティングの知識は全くなかったんですけど、「こういう画像を投稿するとRTが伸びる」とか、「このワードで呟くと、ファンが検索して見つけてくれる」みたいなことを延々としていて。

そんなことをしている最中に就活が始まって、今の会社の面接のときにその話をしたら、「うちにそういう仕事をしている部署があるから、来ないか」と言われて、気が付いたら仕事になっていました。

林:わたしはずっと、将来は手に職をつけたいと考えていたんです。その上で、中学生の頃に画像を作っていた経験を活かせないかな、と思っていました。
WEBデザインの勉強も、「昔サイト作ってたし、できそうだな」くらいの軽い気持ちではじめたんですけど……「やっぱりこれならいける!」と確信して、デザイナーになることを決めました。

あと、実は小6ぐらいのころは絵を描くのが好きだったんですけど、絵はもっと上手い人がたくさんいるからと思って、絵の道は早々に諦めたんですよ。
その後何年か経って、pixivというWEBサービスを知ったとき「小学生のとき、こんなサービスに出会えていたらよかったな」と思って……その時からpixivでデザイナーをすることが夢になって、新卒入社のときにラッキーなことにその夢が叶ったんですよね。

△pixivを見ていると、お絵かき掲示板に夢中だったあの頃が蘇ります。

飯塚:今日皆さんとお話して、あの頃からインターネットやってて本当によかったというか……インターネット、やっぱり最高だな、大好きだなって心の底から思いました!(笑)
本日はどうもありがとうございました!

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「インターネットでやっていこう」と思った人、偶然再びたどり着いてしまった人。
共通しているのは、「10代のころ、インターネットでのコミュニケーションに夢中だった」ということでした。

「インターネットばかりしてないで勉強しなさい」と怒られたりもしたけれど、インターネットで増幅された「楽しい」「嬉しい」「大好き」のパワーは、確かに人生に影響を与えています。

そして、「他の人になれる」「本当の自分が出せる」匿名性や、「友だちといつも繋がっていられる」同時性は、今も昔も若者たちを魅了してやまないものです。
2000年代の「個人ホムペ」「掲示板」から、現在の「LINE」「Twitter」へ。
ツールが変わっても、インターネットでコミュニケーションを取りたがる原動力は一緒なのかもしれません。

TEXT:飯塚みちか注釈:みんなのものがたり編集部PHOTO:大崎えりや

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